アカンダバジャンの始まり
アカンダバジャンの美しい特徴は、世界中で24時間同じようにバジャンが行われるということです。世界中で神の御名が歌われ、その栄光が讃えられます。
アカンダバジャンの歴史は興味深いものです。1940年頃、バンガロールに住む8家族が、定期的に、大変苦労しながら24時間かけてプッタパルティを訪問していました。プッタパルティのマンディールの最初の正式な僧侶となったのは、シェーシャギリ・ラオ氏の家族です。その家族にスワミばバジャンを行うように勧めました。彼らはその素晴らしい体験に促されて、バンガロールに帰ってからも毎週木曜日に自宅でバジャンを行うようになりました。当時バジャン会を始めたのは、その8家族だけでした。彼らに、バジャンを始めた当時、どんな困難に直面したかと尋ねるたところ、その頃は第二次世界大戦の真っ最中だったので、花やプラサードを調達することも難しかったという答えが返ってきました。しかし、それでも週1回のバジャン回は途切れることなく続いたということです。そして1年が過ぎた時、記念として24時間バジャンを行おうということになったそうです。それに対して祝福をいただくために、スワミに報告すると、スワミが、
「祝福を与えましょう。私自身がそこに行きます」
とおっしゃったそうです。これは大変なことになったと、家族は思いました。自分たちは24時間バジャンを歌っているのだから、誰が食事を作り、誰がスワミのお世話をすればよいのでしょう?シェーシャギリ・ラオ氏のひ孫にあたる、ギータ・モーハン女史はこのことについて次のように語りました。
スワが、「私があなたのところへ行きましょう」とおっしゃってバジャン会場に来られたとき、それを迎える家族のほかに、約100人の帰依者たちもついて来たそうです。今のような何千人、何万人という数ではありませんでしたが、当時は戦時下だったので、食事を確保すること自体が困難な時代でした。驚くべきことに、マドラスやマイソールといった遠方からも人が来ていました。どうしてバジャンがあることを知ったのかと尋ねると、スワミが夢に出てこられて、
「この場所でバジャンがあるから来なさい」
おっしゃったとのことでした。家族は少しスワミを咎めて、「スワミ、あなたがいらっしゃるのはわかりますが、こんなにたくさんの人が来てしまいました。私たちはどのようにもてなせばいいのですか?」と言いました。すると、イエス様についてきた信者たちに与える食事が増えていった奇跡のように、スワミはココナッツを割って、その水をかけ、食事を倍増させてくださったのです。
スワミと家族のように親しかったギータ・モーハン女史の母親は、スワミを台所に連れてくると、「スワミ、私たちは20人分の食事しか用意していませんでしたが、スワミは200人もの帰依者を招待されました。私たちはどうしたらいいのですか?」と言いました。スワミは、
「ここで『アクシャヤム』と唱えればよいのですよ」
おっしゃいました。「アクシャヤム」とは「無限に増えよ」という意味です。
スワミは台所で「アクシャヤム」と唱え、
「これで足りるから大丈夫ですよ」
とおっしゃいました。しかし彼女は「スワミ、スワミが招待された人数では食事が足りるかどうか心配です。あと3回唱えてください」と頼みました。そこでスワミは、
「アクシャヤム、アクシャヤム、アクシャヤム」
と3回唱えました。すると訪れた全員に食事を振る舞った後も、まだ20人分の食事が残っていたそうです。そこで、道に座っている貧しい人々に食事を施しました。それでもまだ残っていたため、24時間バジャンが終わってから皆で村に出かけて、夜中にその食事を配るセヴァをしなくてはならなかったそうです。神が祝福したプラサードを無駄にしてはならないからです。そのときスワミは一緒に部屋で待っていた年長者たちに向かって、
「次回からは、もう私に『アクシャヤム』と言わせないでしょうね?」
と、笑いながらおっしゃったそうです。これがアカンダバジャンの始まりです。その後、この催しは世界中に広がる現象となりました。バジャンは何がそんなに特別なのでしょう?108の御名やヴェーダ吟唱などありますが、24時間続けて行うのはバジャンだけです。
Bro.アメイ ラジオサイより