七歳のサイ、バジャンによって感染症を絶滅させる
サティヤサイは語るシリーズ
スワミが7歳だった頃のお話です
この体が7歳だったとき、片田舎の村、プッタパルティにコレラやペストといった特殊な伝染病(感染症)が広まりました。人々は、そうした伝染病がうつるかもしれないという恐れから、自分の子どもを外に出さずにいました。よその家に行ったり、よその家で水を飲んではならないという厳しい通達がありました。村の空気は死への恐怖で充満していました。
私は誰にも気づかれないように、こっそりと外に出ていました。また、中には私への愛ゆえに親に内緒で私たちの家に来る少年たちもいました。少年たちは皆、6歳から7歳の間の年齢でした。よく10人から12人の少年のグループが私の周りに集まっていました。私がどこに行くときも、その少年たちはいつも私と一緒に行動していました。
ある日、子どもたちが怖がって私のところまで走って来て、「ラージュー(スワミの少年時代の名前)、村にコレラが大流行してるんだって。コレラっていうのは命に関わる病気で、かかった人はすぐに死んじゃうんだって。僕らにも何が起こるかわからないよ。すごく怖いよ」
とすがりました。そこで私は、何も起こらないと請け負いました。
「怖がることはない。どんなに守ろうとしたって、体は滅び行くものさ。たとえ森で暮らしていたって、成長したり衰弱することは人間の一生にはつきものだ。だから、死を恐れてはならないよ。代わりに、病気を近づけない努力をするんだよ。そのためにはいつも神様を黙想しているんだよ」
こう言って、私は子どもたちに勇気と自信を植え付けようとしました。すると子どもたちは、「どの神様 ? ラーマ?それともクリシュナ?」 と私に尋ねました。とても純真無垢な少年たちでした。
当時のプッタパルティは小さな村落でした。そのころの村の人口はたった160人でした 。私は夕方6時になったら村の目立つ所に灯油ランプを置いてバジャンをしようと少年たちに提案しました。少年たちはどのバジャンを歌ったらよいかという選択を迫られました。そこで私はバジャンをいくつか作りました。私は少年たちに言いました。
「さあ 、みんな!外に神様を探す必要はない! 神様は本当は僕たちの中にいるんだ」
子どもたちは私の指示に従って、バジャンを歌いながら村中を回りました。当時、村人たちは幽霊を大変怖がっていました。そのため村人たちには、夕方5時を過ぎてからサティヤナーラーヤナ寺院の先に行く勇気 がありませんでした。村人たちはそこを村の境界だと考えていました。そこで私は、
実際はそこには幽霊も鬼も一切いないのだと説明して、子どもたちに勇気と自信を吹き込みました。私は子どもたちの中に、神への信仰と神への絶えざる黙想によって村からコレラとペストを追い払おうという意気込みを湧き上がらせました。
そして 、 足首にシャンシャンと鳴る鈴を付けるよう子どもたちに言いました。私は子どもたちの小さな手に小さなシンバルを持たせました。そうした道具一式を身につけて、私たちはチットラヴァティー川まで、ずっと バジャンを歌いながら歩いて行きました 。このようにして私たちが3日かけてバジャンを歌いながら村中と村の境界を回り終わったころには、コレラとペストは絶滅していました。
ーババー「His story」(スワミが語られた少年時代に関するご講話をまとめた著書)より抜粋
*その直後、これらの偉業が拡がってスワミはかの有名な「パンダリバジャングループ」を結成することになるのです。