ダールワールでの奇跡

サティヤサイは語るシリーズ

神の御名の奇跡

ダールワールでの奇跡

サンキールタンに関連して、ずっと以前、私がカルナータカ大学を訪問した際に、ダールワールで起こった出来事を思い出しました。カルナータカ大学ではシヴァ原理主義者が完全に多数派を占めていました。彼らは決してシヴァ神以外の神の御名を聞こうとはしませんでした。私はカンナダ語で講話を始めました。私のカンナダ語はダールワールで話されているカンナダ語よりも甘美でした。私が耳慣れたカンナダ語で話したので、彼らはたいへん喜びました。私はみんなでバジャンを歌って講話を終えることを習わしとしています。私は集まった聴衆を眺めて彼らの心(マインド)の状態を調べ直しました。私は聴衆がヴィシュヌ神の御名をひどく嫌っていたことを知っていました。もし「ナーラーヤナ」〔ヴィシュヌ神の別名〕と言おうものなら、聴衆は耳をふさいだでしょうし、クリシュナ〔ヴィシュヌ神の化身〕の御名が語られたなら、そっぽを向いたことでしょう。

そのような状況の中、私は「ゴーヴィンダ クリシュナ ジェイ! ゴーパーラ クリシュナ ジェイ!」というバジャンを歌いました。すると聴衆全員が、すぐさま「ゴーヴィンダ クリシュナ ジェイ!」と返してきたのです。聴衆の中にはシヴァ原理主義派のグル(導師)もいました。そのグルでさえ「ゴーヴィンダ クリシュナ ジェイ! ゴーパーラ クリシュナ ジェイ!」と歌ってバジャンに加わったのです。その集会の最後に、副学長であったアドケー氏が私の所に走り寄ってきてこう言いました。

「私たちはこれまでサイ ババ様の奇跡とはいかなるものか、私たちなりの考えを持っておりました。今日、サイ ババ様は、生涯一度もクリシュナの御名を唱えたことのなかった人々にクリシュナの御名を歌わせました。これはたいへんな奇跡です!」

このエピソードの内なる意味は何でしょうか? それは、誰であろうとも、その人がどんな素性であろうとも、サンキールタン〔神の御名や栄光を集団で歌うこと〕には我を忘れて参加するということです。神の御名だけが、人にすべてを忘れさせ、御名を歌う歓喜にどっぷりと浸らせることができるのです。唇に神の御名を乗せて人生の諸問題を切り抜けることを覚えなさい。サティヤ サイババ

Sathya Sai Speaks Vol.21 C29