Q&A
よくある質問をまとめています
Q1:
このサイトにあるスワミの御言葉や100回練習の体験談など初心者の私にとっては厳しいように感じます。ただ楽しくバジャンを歌うのではいけないのでしょうか?
A:
このサイトに掲載されている ”100回練習” とは、主にリードシンガーの方々に向けてのアドバイスですのでご安心ください。
とは言え、確かになぜサイババは賛美歌を歌うのにそこまで厳しいことを要求されるのか?と疑問に思われる方々がいらっしゃるのは自然なことです。ここでは、初心者の方々のために、バジャンのステップの方法の一例をご紹介します。
まず最初のステップとして、スワミは現代のカリユガ(闘争の時代)においては純粋性を保つためにナーマ スマラナ(神の御名を憶念すること)が重要だと教えておられますので、初めに御名を唱えるというナーマ スマラナから始めてみると良いかもしれません。心の中ででも、声に出しても、どちらの方法でも構いません。
次のステップとして、バジャンはナーマ スマラナにメロディーをつけたものですので、ご自宅で一人でバジャンを歌ってみると良いと思います。そのバジャンは個人的なものですので、キールタンの部類に入ります。キールタンにおいては自分の帰依の心を表すためにどのような歌い方をしても構いません。自分の祈りを叶えていただくことや、心が満足するように楽しく歌うことに制限や規制は存在ぜず、自分と神様の間に他者の入り込む余地はありません。100回練習の必要性もありません。家族のメンバーで行われるファミリーバジャンでも同様です。スワミはご家庭でのバジャンとセンターグループでのバジャンの両方をスワミご自身が定められた9つの行動規定にて奨励されています。ご自宅でのキールタンが充実して来たなら、御名の作用によって、必ずその恩恵がもたらされるはずです。
そして、サンキールタンであるサイセンターやサイグループでの公的バジャン会に来た際は、世界の平和が大きな目的ですので、神を想って、楽しく参加しながら、世界の平和を願い、バジャンを歌うようにします。
サンキールタンでリードを歌う場合は、自分の歌声や歌い方によって、自分だけでなくコーラスの参加者全員が気持ちよくバジャンを歌えるようにする責任が伴います。
人数が少ないセンター/グループのバジャン会に参加すると、全員がリードシンガーになるようにと勧められる場合があるかもしれませんが、スワミは、バジャンの参加者全員に対して ”リードシンガーを目指しなさい” ということは言われておりません。もしもリードを歌うことに対して、気が進まない場合は、辞退しても問題ありません。大切なのは、リードの役割の方もコーラスの役割の方も心を一つにしてバジャンを歌うことなのです。
ぜひ、神様を想いながら、楽しく、世界平和への祈りを込めて共にバジャンを歌って参りましょう。
Q2:
スワミの御言葉に「バジャンは、肉体意識を完全に離れた状態で歌われるべきです。音楽の技術よりも帰依の熱意の方が重要です」とありましたが、そうすると100回練習をすることと矛盾するようにも感じるのですが?
A:
スワミは、「歌っているときに技術にばかり夢中になって真の信愛の思いを示していない人もいます。どうして神がそのようなバジャンが歌われる所にいるでしょうか? 歌い手がラーガ〔メロディー〕とターラ〔リズム〕のみを重視して歌っている所に神はいません。ラーガとターラとバーヴァ〔思い〕が一体化して歌が快い調子で歌われたときにのみ、神はその場に顕れるでしょう。歌うときには思いがあふれていなければなりません。神は音楽的な才能にではなく、思いが表現されたときにだけ動かされるのです。ラーガが完璧でなくとも、あるいは、ターラが完璧でなくとも、それは問題ではありません。そうしたことは単に世間的なレベルでの魅力にすぎません。神は思いのひたむきさのみを愛するのです」1984 April, SSS Vol.17 p58
と、おっしゃいます。上記にあるように、スワミはメロディとリズムのみを重視して歌うことは好まれませんが、メロディとリズムに神様への想いがあり、その3つが一体化して快く歌われることを好まれます。この3つを一体化して快く歌うために、帰依の熱意を持って100回練習をして、結果は神様に委ねるという姿勢が大切なのだと思われます。
Q3:
サイセンターでリードをする曲を選ぶときに、簡単で皆が歌いやすいバジャンと、難しくても自分の気持ち入りやすくて歌いたいという気持ちがとても強いバジャンと、どちらを選ぶことが正しいのでしょうか?
Q4:
以前、バジャンセミナーでリードシンガーは自分が歌うバジャンの歌詞を暗記しなくてはいけないと教わりました。でも私は年を取っているのでなかなか歌詞を暗記することができません。そのような場合はリードをしない方が良いのでしょうか?
A:
リードシンガーは ”バジャンを歌うときにバジャンブックを見ないように” ということはスワミが言われたことでもあります。
はじめに、その理由について少々掘り下げて参りましょう。
例えば、あなたがチケットを買って舞台の演劇を観に行ったとします。本番で役者が台本を手にそれを見ながらセリフを言っていたとしたら、役者はその役を演じ切っていると言えるでしょうか?また観客はその劇にチケット代を払ったことに見合うだけの満足が与えられるでしょうか?
リードシンガーが歌詞を暗記した方が良いのは、歌詞が完全に頭に入っている状態の方がより神様に集中できるからです。歌詞を見ながら歌うと、バジャンを歌うという行動の中に「歌詞を見る」という作業が加えられるため、肉体に意識が向かいやすくなるのです。したがって、特にリードシンガーが歌詞を暗記することは肝要です。
しかしながら、加齢による記憶力の低下や、脳の病気など様々な肉体の機能的な理由によって歌詞を覚えることが不可能な場合は、そのことをバジャン担当の方に説明して、理解を得られるようにすると良いでしょう。スワミはすべてをご存知です。慈悲深くお優しい神様ですので受け入れてくださるように思います。
歌詞を見ながら歌う場合は、本を手に持って見る方法ですと目立ってしまうため、事情をご存知ない方々に誤解が生じる可能性があります。そういったことを考慮して、歌詞を充分に見えるように大きめの字で紙やノートに書いた歌詞カードを用意しましょう。鎌倉の大仏様のように胴体は伸びており頭だけをややうつ向ける状態で、床に置いた歌詞カードを見るようにするとスマートで良いと思います。参考画像をご覧ください。(蛇足ですが奈良の大仏様は頭の角度が真っ直ぐに近いため歌詞を見るには難しそうです)
私たちは、大仏様のように、バジャンを歌う際はできるだけ胴体を動かさないことが望ましいとされています。スワミはバジャン時の姿勢について次のように言われます。
「体を振り子のように揺らしたり、他の人達のリズムと合わない手のたたき方をしたりしてはなりません。座っている間は、一切おしゃべりをせず、体をできるだけ動かさないようにします。自分自身をコントロールするのです」Sai Bhajana Mala p28〜29
鎌倉の大仏様
Q5:
マンディール バジャングループのサイの学生のバジャンセミナーで、
「同じ一つのヒンディーバジャンでも様々な歌い方で歌われているCDが存在します。複数のリードシンガーが一つの曲をそれぞれ色々な音源で覚えて歌うと、コーラスの参加者の間にちょっとした混乱が起きる場合があります。そのような事態を防ぐために、サイセンターやサイグループでヒンディーバジャンを歌う際は、プラシャーンティ ニラヤムで歌われているマンディール バジャンの楽曲をお手本にして歌うようにすると、統一感と一体性が培われる助けになります」
と言っていたのですが、私はどうしても自分で憶えたバジャンのその歌い方を変えることができません。サイセンターのバジャンで、ずっとその歌い方でリードをしてきたことと、マンディール バジャンのメロディの方だと気持ちが充分に入らないからです。どのようにすればよいでしょうか?
A:
この場合の学生からのアドバイスに関しては、必ずしも「ねばらない」ということではなく、「できるかぎり」ということだと思います。その上で「できるかぎり」ということとしてお答いたしますと、どの程度あなたの歌い方とマンディールバジャンが違うのかわからないのですが、少しの違いであれば特に直す必要はないように思いますし、かなり大きく違う場合は直した方が全体にとって良い場合もあります。マンディールバジャンでもシンガーによって多少の歌い方の違いが見られますので、その辺りは所属するセンター/グループのバジャン担当者とよく話し合ってみるとよいと思います。
ところで、霊性に関わりのあることについては、結果にとらわれずに努力すること自体がサーダナになるという考え方もあります。
スワミは、「人生はチャレンジです。挑戦しなさい」(クリックで関連御講話にリンクします)
と言われていますので、新たな気持ちで、サーダナとして、マンディールバジャンに寄せる再チャレンジをしてみるという方法もあります。希望の楽曲がバジャンチューターで見つからない場合は、マンディールバジャンのライヴ録音で検索して練習することもできます。
そのような過程を経ても、どうしても自分の歌い方を変えることは不可能だという場合が出てくるかもしれません。そのときはスワミに祈って、あなたが所属するセンター/グループのバジャン担当者とよく話し合ってみると良いでしょう。
スワミは、愛は「強制(フォース)」ではなく「源(ソース)」から発生するものであると言われます。(クリックで関連御講話にリンクします)お互いの気持ちや意見を強制し合うのではなく、お互いに源である神に歩み寄った上で理解し合うことが大切だと考えることができます。
一つだけ明確に言える事は、グループバジャンにおけるリードシンガーの役割は、自分個人の神への想いだけでなく、参加者全体のハートが神への想いに満たされて、神へ向かうという手助けをする道具であるということです。
遥か遠い未来まで見据える拡い視野を以ってみれば、あなたの歌い方で、そのバジャンを憶えて歌う人々が出てきて、またそれを聞いて憶えて歌う人々が出て来て…と言う連鎖の影響についても充分に考慮される必要があるかもしれません。その点では、お手本となる音源が存在することは、多様性の中の一体性を培う助けになる可能性が高くなると分析することもできるでしょう。
スワミは「皆さんはそれぞれのバジャンを歌います。皆さん全員がコーラスに参加します。しかし、各人が自己流に歌っているように見えます。もし皆さん全員が一つになってバジャンを歌うなら、神は、皆さんのハートの中に身を置くことでしょう」とおっしゃいます。(クリックで関連御講話にリンクします)
このバジャンルームで紹介されている御言葉や記事を探求することで、サイの御教えを、強制ではなく、源に働きかける一助となれますようにと願っております。