スーナム博士シリーズ2
100回練習の先の風景
若き日のスワミとスーナム博士
バジャンの実技の話をしましょう
さて、では次にリードシンガーのためのバジャンの実技について深めて行きましょう。
ナーマスマラナはとても重要なサーダナです。バジャンのときには今、この瞬間に意識を向けることが大切です。怒りが出たときには、バジャンを1曲歌いましょう。歌い終わった時には怒りがどこかに行ってしまうでしょう。10秒数えることと同じです。(インドの家庭では子供が激しく感情的になったらまず10秒数えるように促すという子育て法があります)
ではバジャンの技術的な要素についてお話します。
1スケール(音階)
すべてのバジャンにはスケールがあります。バジャンをリードする際は、そのスケールが自分の声の音域にあったものであることが大切です。
音が外れる原因は2つあります。
1)神への愛のインスピレーションの欠如
2)技術的な要素の欠如
スケールで一番大切なのは人々がインスピレーションを受けることができるように歌うことが大切です。
2ラーガ(メロディ)
これは太古のリシたちが直感的に受け取ったものであり、5つのパターンがあります。そして何千ものラーガがあります。
3ターラ(リズム)
哲学的には、出ている音と出ていない音があります。サンスクリット語で音の長さの単位を表すマートラーという言葉があります。(1拍分の音の長さを1マートラーと呼びます)バジャンでは曲ごとにそれぞれ一小節を16拍子、10拍子、7拍子、6拍子、また9.5拍子や、11.5拍子などのものに分けることができます。例えば6拍子のバジャンは「サイラーム サイシャーム メレサイラム」がそうですね。(クリックで動画が視聴できます)
1984年6月のことでした。「ラデ ゴヴィンダ クリシュナ ムラリ」というバジャンが流れました。スワミが女性側にダルシャンをお与えになっているとき、一人の女性がスワミに飛びかかるように近づきました。そのとき手元が狂って彼女の爪がスワミの御足を傷つけて、血が出てきてしまいました。スワミはそのとき、バジャンのリズム通りに合わせて足を動かしました。ラデ アーナンダ ラデ ゴヴィンダの歌詞の部分でそれに合わせて二歩進み、次の行のナンダ アーナンダ ラデ ゴヴィンダの歌詞の部分でそれに合わせて二歩下がられたのです。私は大変驚きました。その後スワミが男性側にいらっしゃいました。スワミはその頃はお一人でお歩きになり、私たちはスワミが何をされているか一部始終をはっきりと見ることができました。その時、10拍子のバジャンが始まりました。それは私たちが10拍子のバジャンで唯一知っているものでした。するとスワミは、その10拍子のリズムに合わせて歩行をし始めたのです。とても自然にバジャンに合わせて歩かれたのです。私はその奇跡に泣きました。それまで毎日毎日スワミのダルシャンを受けていたのに、その時初めてスワミがそのようにされていることに気付いたのです。そしてスワミは宇宙のリズムと調和した形で、後ろから私の座っている所に来られました。そして私の頭を叩かれ、また先に歩いて行かれました。
次にターラというものが如何に重要かというお話をしましょう。
もし私たちがビートを一つ外したとしたら、宇宙のシンクロのリズムからひとつずれてしまうことになります。もし私が全体の調和を乱してしまうとしたら、バジャンを歌うということだけでなく私の人生そのものがずれてしまいます。
例えば、皆さん方の自分の心臓のビードを感じた事がありますか?このドキドキという鼓動は、私たちの最期の瞬間まで打ち続けます。私の心臓が止まっても宇宙のリズムは止まることなく鼓動を打ち続けます。私たち一人一人が宇宙の鼓動に合わせた生き方をしなければなりません。人生そのものが宇宙のリズミカルなパターンによって導かれています。それは宇宙のダルマです。
例えば酒に酔った人がいたとします。彼らは宇宙のリズミカルなパターンを失っていると言えます。
一般的に人々から尊敬されているような方々はバランスのとれたリズムで人生を送っています。バランスのとれたリズムがとても大切です。ハリー(急ぐ事)、 ウォリー(心配すること)、カリー(油の多いカレー料理)を避けて平常心を保つようにしなければなりません。バガヴァッドギーターの中でも「ヨーガとは平常心でいることである」と述べています。建設的な人生を送るためにリズムのバランスを保つようにしましょう。
以上の、スケール、ラーガ、ターラの三つは学習によって身につけることができます。しかしバーヴァはそうは行かないのです。では次に4番目のバーヴァについてお話しましょう。
帰依(バクティ)が深いほどバジャンで泣いたことは言わない
4バーヴァ(帰依の感情)
ある格言があります。バーヴァとは帰依の感情の状態を言います。帰依は深い海であるとおっしゃいます。
スワミは
「感情の命は短く、バクティ(帰依)は永遠である」
とおっしゃいます。もし自分が感情的であれば、「自分はかわいそうな人間である」と言った気持ちがついてまわります。それを自己憐憫と呼びますが、自己憐憫は自分を呪っているという意味でもあります。
スワミは
「皆、感情のために泣きます。その種の涙は病的です」
とおっしゃいます。そのような泣き方をすると完全にエネルギーがなくなってしまい、病気のようになってしまいます。しかし、無条件の愛からくる涙は瞳の中心から流れてきます。その種の涙は外に向かう視線を閉じて、内に向かう視線を開きます。神に対する完全な無条件の愛によって涙を流すとき、それが純粋な帰依となります。そのような状態になるための教科書本は存在しません。それは自分自身で培わなければなりません。信仰と神への愛によってそれを培うのです。
バジャンで私たちが座っているときによく起きることなのですが、人はバジャンで感情的に感動して歌っている際に呼吸が乱れる場合があります。そのような場合、彼は「自分は帰依の心でバジャンを歌って、こんなに感動して涙を流したのだから、誰かがこの姿を見ていてくれたらいいな」と思ったりします。一人一人がスワミへの帰依に浸っているならば、他者がどんな状態でいるかを気にすることはなくなるでしょう。しかし、そのようなことが起きたなら、男性であれ、女性であれバジャンが終わったあとに「今日のバジャンはあなたにとってどうでしたか?」と他の人々に聞きます。しかし彼らが本当に話したいのは「今日、自分はバジャンで感動して泣いた」という事なのです。スワミは、それは非常に無駄なことだとおっしゃいます。私たちが本当に深いバクティに浸っているときは、話そうという気持ちも起きません。自分が、神と自分は一つであると感じたとき、色々な人の所へ言って「私はバジャンで帰依の涙を流しました」等ということは言いません。
帰依の歌であるバジャンの邪魔をするものはエゴです。
私はとても利己的でした。決して今がエゴイストではないと申しているのではありません。スワミはエゴ、怒り、嫉妬、プライドといったものによって高くなった鼻を削る方法を知っています。
私はブリンダーヴァンの学生の中で自分一人だけがイーシュワランマデーのお祭りに呼ばれて参加できるということがありました。私はすぐにスワミが私の所にやってきてインタビューに呼ばれると思っていました。しかしスワミは私の方を向きませんでしたが、ダルシャンが終わったあとに、スワミが自分のことを呼んでくださるだろうと思いました。私はブリンダーヴァンの学生たちが書いた手紙をたくさん預かっていましたので、自分がまるで大使であるかのような気分になっていました。バジャンホールに後から入ったのですが、スワミは私の方を全く見ませんでした。「アッラー ホ アクバル」というバジャンがあります。そのバジャンは、スワミが長い間私に「歌いなさい」とは決して言わなかった曲なのですが、私はそのバジャンを今まで犯したすべての過ちをお許しくださいという気持ちで泣きながら歌いました。技術的には失敗でした。
バジャンを歌い終わった後に、スワミは私をインタビュールームに呼び、ドアを閉めてから私の目を見ておっしゃいました。
「なぜお前はそんなに利己的なんだい?」
私は「どうしようもありません。自分では、そうなりたいとは思わないのに、そうなってしまうのです。一体どうしたらよいのでしょうか?」
このときにスワミがお答えになったことは帰依者全員に当てはまることです。スワミは、
「サーイーシワラールパマナマストゥ(それがサイ神への捧げものになりますように)と言いなさい。自分がやることを自分のものにしてはいけない。すべて神に捧げなさい。あなたが素晴らしいバジャンを歌ったとすれば、何人もの人がやってきてあなたをロックスターのような気分にさせるでしょう。『あなたの歌は素晴らしく魂が揺さぶられました、高められました』等と言う事を言ってきたりするでしょう。そのようなときは私たちは無防備な状態です。そのようなときには サーイーシワラールパマナマストゥ(それがサイ神への捧げものになりますように)と言いなさい。自分がそれをしたんじゃない、それをスワミに捧げる振りをしなさい。形だけでもそのようにすることで、だんだん自分がそれをしたのではないと感じられるようになり、本当に自分がやったのではないということを悟るようになります」
サイバジャンの素晴らしい所は、それによって帰依の最高のレベルまで私たちを連れて行ってくれることです。バジャンを歌うことによって深い帰依の気持ちが出てきます。バーヴァとはバクティの内面的な感情ですが、それには様々な側面があり、それぞれに代表的な帰依者のバーヴァが当てはまります。
シャーンタ(平安)バーヴァの代表的な帰依者はビーシュマ、
サーキャ(友情)バーヴァの代表的な帰依者はアルジュナ、
ダーシャ(召使い)バーヴァの代表的な帰依者はハヌマーン、
ヴァーツァイヤ(無条件の愛)バーヴァの代表的な帰依者はヤショーダ、
マドゥラ(甘美)の代表的な帰依者はラーダーとミーラーバーイとなります。
100回練習の先の風景
バジャン練習を25回すればバジャンの音楽的側面が理解できるようになります。バジャンはシリアスです。多くのバジャンシンガーはバジャンの前しか練習しません。自己満足がかなり自分たちの中に浸透しているので、そのようなことになるのです。有名な普通の歌手たちの中にはバジャンの感覚をつかむことすらできない人もいます。バジャンでサイが望んでいらっしゃる歌い方をするのはとても難しいことです。例えばある人がバジャンを歌うと映画音楽の歌のように聞こえます。私たちがバジャンの感覚を持つためには、スワミが定めた様々な価値を全部備えた純粋な歌い方をしなければなりません。
1940年代からの帰依者であるクッパムファミリーという音楽一家は、当時スワミから直接800曲のバジャンを教わったと言われています。当時、レコーダーはなかったのでその場で聞いた通りに覚えなければならなりませんでした。スワミが教えられたのは、ためらいも見せびらかしもないバジャンの歌い方でした。
スワミは、1曲のバジャンがどのようなものかを理解するためにはまずそのバジャンを25回真剣に練習しなければならないとおっしゃいます。私はあるバジャンを覚えてすぐに映画音楽のように歌ったことがあるのですが、スワミは私が歌い始めてすぐに
「やめなさい」
とおっしゃいました。そして、
「お前は気が狂っているのかい?お前が歌った歌詞の言葉自体が間違っています」
正しい歌詞は、アートマは私、私はアートマという意味なのに、神様どうかわたしの頭の上に座ってくださいという意味に聞こえるように歌ってしまっていたのです。バジャンを上手に歌って、多くの人に慕われ高い評価を得たいと言った気持ちはバジャンの第一歩の姿勢として間違っています。
バジャン1曲を25回真剣に歌うとメロディと言葉の意味を理解するようになります。次に25回真剣に歌うとそのバジャンの細かいガマカを理解するようになります。ガマカというのは音の曲線、装飾音のことです。 ガマカがなく普通の歌い方をするとこうなります。(実演:まっすぐな声で味気なく歌う)ではガマカを入れて歌ってみましょう(実演:所々揺らした声で気持ちを入れて歌う)バジャンを仕上げるにあたって、このガマカを含むことにより自分にとってもそれを聞くすべての人にとってもより素晴らしい歌に聞こえるようになります。更にあと25回真剣に歌うと、バジャンそのものが自分の心の中に刻み込まれます。バジャンと自分の感情がひとつになります。
更にあと25回バジャンを歌うと美しいことが起きるとスワミはおっしゃいます。あなたの細胞のひとつひとつにそのバジャンが刻み込まれるようになります。
ハヌマーンの例をあげましょう。
ハヌマーンは自分の細胞の全てにラーマの御名が刻み込まれていたので、彼の体毛の一本一本がラーマの御名を謳っていました。
ある時、私たちはどのように神に集中して瞑想したらよいか?とスワミに質問しました。するとバガヴァンは誰でもできる簡単な瞑想法があるとおっしゃいました。
「バジャンを歌いなさい。バジャンを歌っていると、歌いながらも深い瞑想状態になります。というのは、バジャンを歌うときには非常に高度な集中がそこに在ります。それは瞑想の前提です。ひとつのバジャンを歌うときには先に述べたように100回真剣に練習すればあなたはバジャンと完全に一つになって、非常に高い集中力で神の御姿を深く黙想できるようになります。バジャンに歌われている神の色々な側面を想い、最終的にはバジャンに歌われている神とひとつになります。たった一曲を歌う中で、あなたがそれを正しく歌えば深い瞑想状態になります」
ただしスワミはバジャン中にバジャンを歌わずして瞑想をすることは正しくないとおっしゃいます。声に出しても心の中で歌ってもどちらでも構いません。バジャンの時は歌うことに価値があります。
ここに美しいバジャンがあります。
(スワミの御前で子どもたちが演じられた劇の画像をみながらバジャンを実演)
クリシュナ クリシュナ マナモーハナ
クリシュナ、クリシュナ、私のハートを魅了するお方
チッタチョーラ ラーダー ジーヴァナー
ラーダーの魂を盗んだお方、ラーダーの命そのもの
メガシャーマ マドゥスーダナー
真っ黒い雨雲のような肌を持つ、悪魔マドゥを滅ぼしたお方
ラーダー カーンター ヤドゥ ナンダナ
ラーダーの愛したヤドゥ一族の息子
この画像にあるように、子どもが小さなクリシュナを演じる劇をクリシュナ神ご自身であるスワミが見ておられます。皆さん、画像をみながら歌詞をイメージしていっしょにこのバジャンを歌ってみましょう。
私がバジャンのために毎日行っていること
バジャンには魅力的な側面がたくさんあります。親愛なる兄弟姉妹の皆さん、バジャンのリードシンガーとして歌うためには毎朝早く起きなければいけません。私は毎朝4時半に起きて5時半まで祈りや沐浴を済ませた後に、21回のソーハムを行います。その時、ソー(神)で息を吸ったときにおなかがふくらみ、ハム(我)で吐いたときにお腹がへこむようにします。歌うことは全て呼吸に関係しています。歌う時の腹式呼吸は大切です。十分に息を吸い込んで全部を吐きます。21回で10分かかります。そしてゆっくりとスケール(音程)のボイストレーニングをします。まず低い音でスケールの練習をします。息が続くまで繰り返します。低い音が出るまでは時間がかかります。できるだけ低い音を正確に出せるようにします。片方の耳で楽器の音を聞いて、もう片方の耳を閉じて自分の声を確認します。音程を確保しながら低い音を出し続けます。この練習の素晴らしいところは、実は低い音程の練習をすると、高い音程がきれいに出るようになるのです。この低い音程を出す練習を毎朝30分行ってください。スワミは次のようにおっしゃいます。
「あなた方は時間がないとよく言います。しかし練習はいつでもどこでもできます。例えばあなたが一人になったとき、小さな声を出して練習することができます。」
30分低い音の練習をするときは、ぬるま湯などで喉を潤しながら行ってください。
その後に拍子に合わせて腹式呼吸を重視したスケール練習と、ガマカを取り入れたスケールの練習をします。このスケール練習のボイストレーニングを毎朝100回行うのです。
これはインド古典の歌手になるために練習しているのではなく、純粋なバジャンのために練習しているのです。このように生活すれば、歌う声だけでなく話すときにもスワミのように甘い声が出るようになるでしょう。