バジャンの旅ー デコボコ道を経て得た恩寵ー

マンディールバジャンシンガーでサイ大学ブリンダーヴァン校の教員をされているサイスマラン先生の体験談より

私とガネーシャバジャン

私がガネーシャバジャンのリード部分(現代のバジャンはより多くの帰依者が歌いやすいようにリードシンガーとコーラスという2部形式で歌われます)を歌えるようになったのは、サイ大学のブリンダーヴァン校に入学してからでした。ガネーシャ神はヴィグネーシュワラとも呼ばれ障害を取り除く神(また必要な時には障害を与えることで守ってくださる神)としても崇められていますが、リード担当になったばかりの頃の私にとってガネーシャバジャンを歌うということは障害であると思っていました(笑)なぜなら、慣れていないうちはバジャン会の最初の1曲目をリードして歌うということに重圧や難しさを感じていたからです。今でも自分が良い質で歌うことができるガネーシャバジャンはまだまだ限られています。そのように感じているのは私だけではなかったようで、実際に学生寮でのバジャン会でもガネーシャバジャンのリードシンガー枠だけが決まらないことがよくありました。しかし現在はスワミがおっしゃるように様々な種類のバジャンをある程度のクオリティーでコンスタントに歌えるようにと注力しています。つまりスワミが「それは良くないよ」と言われていることを克服して良い態度でいることの大切さを実証しています。これまで色々なバジャンの遍歴があり、慣れない頃からサイ大学で色々な経験をして来日し、より様々なバジャンを一定のクオリティで歌えるように鍛えられました。「あなたの態度の質が大事なのです。ーババ」

目覚めの出来事

私はサイ大学に行くまでファミリーでのバジャンが主な経験でした。サイの学生になってからの私のバジャンの旅は平坦なものではありませんでした。

ある日、学生寮の朝の祈りの会でスップラバータム(朝の祈りの歌)をリードした日がありました。その後に教室へ移動する際、上級生の先輩方数人が「今朝のスップラバータムをリードしたのは誰だったんだろう?」「キツネか何かの動物の鳴き声みたいだったよね」と話しており、すぐそばにいた私に向かって「ねえ君、さっきのスップラバータムをリードしたのは誰だったか知ってる?」と無邪気に聞いて来たのです(笑)とてもショックでしたが、それは自分を目覚めさることとなった良い体験となりました。「神への愛に浸りきった心は、 どんな衝撃や重圧も乗り越えます。 この種の愛だけが、 最終的に勝利を手に入れることが できるのです。ーババ」

恩寵

サイ大学には音楽全般を統括されていたウメーシュ先生という方がいらっしゃいました。私はその先生に質問をすることにしました。「私にはバジャンのリードシンガーになるチャンスはあると思いますか?」そのときにウメーシュ先生からいただいた回答も、私の目を見開かせてくれたメッセージでした。先生は次のように言われました。「バジャンのリードシンガーは他の人々に喜びを与える役割があります。ですから聞く人の耳に痛いものであってはならないのです」実際その当時の自分の能力のキャパシティはその程度のものだったのです。その立ち位置からスタートして練習を続けてその2年後にようやくスワミの御前でバジャンをリードする機会を与えられました。この大きな変容は自分の行為の結果ではなく明らかに神の恩寵によるものです!そのように、元々私はリードシンガーに適した人物ではなかったのですが、スワミによって成長しその後も幾度とスワミの御前でリードシンガーとしてバジャンを歌えるようになりました。このようなバジャンの旅路においてのプロセスは私にとって素晴らしいものだったと思っています。「皆さんは、神の恩寵を得るにふさわしくなるために、正しい行いをして、功徳を積まねばなりません。ーババ」

量より質

自分が初めてスワミの御前で歌うバジャンシンガーに選出された時のことを振り返ってみると、当時私には良い質で歌えるバジャンが2曲のみでした。もちろん他にたくさんのバジャンを歌うことができましたがパーフェクトではありませんでした。その時に私がハイクオリティーで歌うことができた2曲とは「シルディサイ ドワラカマイ プラシャーンティ ヴァースィ サイラム」と「ジェイジェイジェイ マナモーハナ ジェイジェイジェイ マドゥスーダナ」でした。その時に悟ったことは、たった2曲であってもきちんとした良い質で歌うことができればスワミがご自分の御前で歌うチャンスを与えてくださるということです。僅か2曲でこのような大きな恩寵をいただくことができるのですから、まず1曲のバジャンを良い質できちんと歌うことができるように精進することがみなさんにとって如何に大切なことであるかということです。これらの経験が私のバジャンライフの根底にあり、それは音楽家であった祖父から父に引き継がれた教育と一致することでもありました。このことは、日本にいる間に一貫してブレることなくにみなさんに伝えて来たことです。「神に受け入れられるのは質であって、量は重要ではありません。ーババ」

堅実に

では次に、訓練に上限が見えて来た時にどのようにすればよいでしょうか?遠くの風景を見るために望遠鏡を使用するように、あるところのレベルまで進んだ後、更にその先のレベルに行くにはどうしたらよいでしょうか?ある程度まで進歩した自分が歌った歌が、それを聞いて後について来てくれるコーラスのみなさんにとっても「心地よいもの」である必要があります。自分の歌が心地よいものかどうか?それを知るには、自分が歌ったバジャンを録音してじっくりとよく聞いて分析し、反省して改善点を発見することです。スマートフォンで簡単に録音することが’できますので、それを聞いて客観的に自分でそれが心地よいかどうかを注意深く確かめてチェックしながら堅実に進んでいく必要があると思います。バジャンに限らず私たちは努力を重ねて何年も費やしてもなかなか進歩が見られないことを体験することがあります。そのような時はそれまでの努力の仕方を改善してみることも大切です。(手本になる音源や自分が歌ったバジャンの録音を聞く際にもっと堅実に分析することなど)このように良い練習をすることによって自分の状態をよく理解することができ、その結果毎回10%の改善が続くならかなりの成長が見込まれると思います。何をするにせよ堅実な態度であることはとても大切です。「規則正しさ、​誠実さ、堅実さ、これらはあなたに成功の報いをもたらしてくれるでしょう。ーババ」