バジャン一家に生まれて

サイ大学の卒業生でマンディール バジャンシンガーであるBro.サイスマランの祖父は南インド古典音楽家および音楽教師でした。父と双子の叔父はマンディール バジャンシンガーおよびサイバジャンの作詞作曲家です。更に、妹と叔母は優れたサイバジャンシンガーであり、またもうひとりの叔父はバジャンのタブラ奏者でもあります。このファミリーメンバーで製作されたサイバジャンのCDは、長年に渡ってリリースされ続けています。そんな絢爛たるバジャン一家に生まれたBro.サイスマランさんの体験談です。

バジャンというものにおいては、その人がどのような波動を感じ、どのようにそこに達したかを、バジャンを聞いた人が感じたり、一緒に実現することができます。それゆえに、神とのコミュニケーションにおいてはスワミが特別にバジャンの重要性を語られています。サイの学生たち、特に私たちより以前の世代のサイの学生は多くのスワミとの直接的な交流の機会を持つことができ、そのような幸せな時代がありました。そのような状況の中で、サイの学生とスワミとのコミュニケーションの方法としてのバジャンの重要性に関するエピソードがあります。

ある時、スワミが学生たちに怒っていらっしゃいました。そのため、スワミは罰としてしばらくの間学生たちに話しかけられませんでした。どのようにスワミの方に目を向けても、スワミはそっけない態度をとられ、それは皆にとって心の痛みを伴う体験でした。そして、「スワミ、どうなさったのですか?」と皆が思いを投げかけても、それに対するスワミの反応もありませんでした。

ついに、バジャンのときにある学生が感情を込めて「スワミ プレーマ ジェイ」というバジャンを歌いました。このバジャンの1行目スワミ プレーマ ジェイ(スワミの愛に栄光あれ)と歌った後、その学生は

「そうだ、スワミは私たちに愛を与えてくださっているのだ!それは、今私たちが忘れていたことではないだろうか!?」

と思い、一旦歌うのを止めました。

この気持ちの込もった「スワミ プレーマ ジェイ(スワミの愛に栄光あれ)」という1行のフレーズに込められたリードシンガーの気持ちが、それを聴く皆に伝わって、そして皆に平穏が戻りました。

その後、スワミが普通の状態に戻られて、再びいつもの通りに皆に接してくださるようになりました。

このことはスワミのバジャンの意義に関する非常に多くの物語の一例に過ぎません。

音楽家であった祖父が、父と双子の叔父に最初にしたアドバイスは、

「一つのバジャンを2、3ヶ月は続けて歌いなさい。そうして初めてバジャンを理解したり、何かをつかんだりすることができる」

というものです。父は、歌を歌う以外にハーモニウムも演奏していたので、更に一層練習するように指示されました。そして父は一年間同じバジャンだけを歌うように指示され、その間さまざまな場所を訪れてバジャンを歌う時には、いつも同じ曲だけを歌い続けました。

バジャンを最初に練習し始めたころ、父はバジャンに関する基本的な知識は何もなかったそうです。ただ、純粋に興味があったのと、純粋にそれに向かって努力したかったことが動機だったそうです。どれだけ音楽の知識があるのかということよりも、どのくらい努力をするのかということの方が、より大きな役割を果たすことがあります。

サイバジャン(サイの帰依者が歌うバジャン)に関しては、日本にも多くの種類のサイバジャンがあり、インド音楽をベースにしたサイバジャンもあれば、西洋音楽的なサイバジャンもあります。それらは、単に私たちが神とのコミュニケーションを取ろうとする媒体にすぎません。バジャンを歌うときにはいつでも最善の努力を払うべきで、それバジャンが神とのコミュニケーションであるからです。今、スワミは肉体的には存在していらっしゃいませんが、スワミがいらした頃、リードシンガーはスワミの御前で歌う前に大変な努力を重ねて、しかるのちにようやくスワミに捧げました。今もスワミがあらゆる場所にいらっしゃるということを忘れてはいけませんし、ある程度練習をしたからもういいだろうとか、もっと練習をすればさらに良いものを捧げることができたのに、などと後で悔いが残るような練習の仕方をしてはいけません。他の形態の帰依に比べると、バジャンという霊性修行は非常にシンプルです。なぜなら私たちの神への感情をそこに描けばよいからです。今スワミは肉体としてはいらっしゃいませんが、決してこの程度の練習でいいだろうという言い訳にしてはいけません。今でもバジャンは、最もシンンプルで最も速い神とのコミュニケーションツールなのです。

誰もがバジャンを歌う前に100回練習してください。100回練習したなら、私たちは歌詞にある一つの言葉やそこに込められた帰依など、そのバジャンを本当に感じることができるからです。


質疑応答(Q&A)

Q:バジャンに慣れたあとでも、ひとつのバジャンを歌い続けるべきですか?

A:ハーモニウムの演奏や車の運転など、何事もそうですが、長くやればやるほど熟達します。私は高校生の頃まではあまり本気でバジャンを練習していませんでしたが、大学の学部生のころに、初めて父親が私にバジャンを5、6回繰り返し教えました。私が父に「このバジャンはもうわかったよ」と言うと、父は「私はこのバジャンを作ってから20年以上経つけれど、今もまだ自分が正しく歌えているとは思っていない。10のバジャンを学ぶより1つをしっかり高いクオリティーで歌う方が良いのだ」と教えてくれました。

歌う前に練習、回数、リズム、音程などの調整を含めてどれだけの努力をスワミに捧げることができるかが重要です。ここ(センター)に来てバジャンを捧げることは一つのことですが、その前に一つの曲に対してどれだけの努力を捧げたかが大切なのです。しっかりと練習すれば、それを聞いている周りの人にもポジティブな影響をたくさん与えることになります。