もっとも効力のある

バジャン

バジャンには四つの種類があります。その中でもっとも効力のあるのはどの種類のバジャンでしょうか?

ナーマ サンキールタンよりもすばらしいものはない

通常、サンキールタン(グループで歌うバジャン)にはそれぞれきわだった特徴をもつ四つの種類があると述べられています。それは、

(1) グナ サンキールタン:神を称賛して恩寵を得るために、神のグナ、すなわち属性や特質を描写して歌詞にしたバジャン

(2) リーラ サンキールタン:神の戯れや奇跡を描写して歌詞にしたバジャン

(3) バーヴァ サンキールタン:神に対する想いを歌詞にしたバジャン

(4) ナーマ サンキールタン:神の御名だけを歌詞にしたバジャン

です。

さて、四番目の形、「ナーマ サンキールタン」について考えてみましょう。

「ナーマ サンキールタン」は、あらゆる人々に、いつでも、どこでも、完全な幸福を与えることができます。「ナーマ サンキールタン」よりもすばらしいもの、満足を与えてくれるものはありません。

ラーマ、ハリ〔ヴィシュヌ神の別名〕、ハラ〔シヴァ神の別名〕、サイ、ババ、クリシュナ――これらの御名はどれも二音節から成っており、アートマの真髄であり核心でもあるプレーマという語から派生したものです。

プレーマ、すなわち愛は、わたしたちの思いを刺激し、言葉に浸透し、行動を促さなければなりません。「ナーマ」〔御名〕という語には数霊学〔名前を数に変換して分析する学問〕的に重要な意味があります。「ナ」は〇に等しく、「ア〔ー〕」は二に、そして「マ」は五に等しく、これらを全部足すと七になります。

これは「ナーマ サンキールタン」を成功させるためには、シュルティ〔微分音〕、ラヤ〔テンポ〕、ラーガ〔メロディー〕、ターラ〔リズム〕、バーヴァ〔思い〕、プレーマ〔神の愛〕、サンヒター〔持続〕という七つの要素が必要であることを示しています。

この七という数字は、「七つの音(スワラ)」〈七音音階〉、「七聖仙(リシ)」、聖なる週と(サプターハ)して知られる「週の七日」に見出すことができます。

サンキールタン〔グループバジャン〕は、音、節、拍子のとり方、心構え、愛情、そして、最上の出来を達成することに重点を置いて行わなければなりません。

サンキールタンは歌うために歌うものではありません。メロディーは、心(ハート)から出たもの、純粋な愛から出たものでなければなりません。その愛は、それ自体が熱で(タパス)あるほどに情熱的です。そのような求道者(サーダカ)のサンキールタンは、確実にその人自身を解放し、地域、そして、世界も変えていくことでしょう。

ある皆さん! たとえあなたが瞑想(ディヤーナ)やジャパ〔神の御名やマントラの復唱〕をすることができなくても、恐れることなく、信念をもって、神の御名を歌いなさい。

ダルマクシェートラ、ムンバイ

SSS Vol.15 pp.228-232 より抜粋


バジャンには四つの種類がある

愛の化身である皆さん! 人はダイヤモンドの希少価値がわかって初めてダイヤモンドを厳重に保管します。同じように、人は神の御名を唱えることの価値がわかって初めて懸命にそれを行い、その恩恵にあずかろうとするのです。

帰依者は二通りのやり方で神の御名を唱え、歌います。一つはキールタン、もう一つはサンキールタンです。キールタンは個人的に行うもので、恩恵を受けるのはそれを行った帰依者のみです。サンキールタンは世界全体のために集団で行うものです。

キールタン(バジャン)にはさまざまな種類があります。一つ目に、「グナ キールタン」があります。これは歌で神の特質や属性をたたえるものです。

二つ目は、「バーヴァ キールタン」です。これは、帰依者の内なる思いや情緒を表現するものです。帰依者が感じた平安、友愛、思慕、親子の愛、甘さ、といった思いを反映するこうした歌は、帰依者の感情のほとばしりです。

三つ目は、「リーラ サンキールタン」です。これは神の戯れや劇を歌ってたたえるもので、(ジャヤデーヴァの)アシュタパディ〔詩歌の形式の一つ。通常ジャヤデーヴァ作のこの形式の詩歌の傑作『ギータ・ゴーヴィンダ』を指して言う〕、あるいは、神の戯れや奇跡的な御業(みわざ)を描写して歌います。「ラーサ クリーダ」〔クリシュナが牧女の数だけ自らの分身を作り同時にすべての牧女とペアで踊った円舞〕もこのカテゴリーに属します。

四つ目は、「ナーマ サンキールタン」、神々の御名(だけで構成された歌詞のバジャン)を歌うことです。「ナーマ サンキールタン」はバジャンの全部の形式の中で最も効力のあるものです。

ただし、実際に歌っているときには、帰依者たちはすべての種類の信愛の歌から喜びを引き出します。



ナーマ サンキールタンの特別な意義


「ナーマ サンキールタン」、すなわち神々の御名を歌うことの特別な意義とはいったい何でしょう?

「ナーマ」〔名前〕という語は、「ナ」と「ア〔ー〕」と「マ」という三つの文字でできています。すべての音楽は七つの音、(スワラ)つまり七音音階から成っています。数霊学〔名前を数に変換して分析する学問〕によると、「ナ」と「ア(ー)」と「マ」という文字の数的な価値は、それぞれ「〇」と「二」と「五」です。これらを全部足すと「七」になります。七つの音とは、「サ」、「リ」、「ガ」、「マ」、「パ」、「ダ」、「ニ」〔ドレミファソラシ〕のことです。牧女(ゴーピカ)たち〔クリシュナ神を愛した牛飼いの娘たち〕は、クリシュナと「ラーサ クリーダ」のダンスを踊るとき、これら七つの音を使って音楽とリズムと神への愛を結合させました。このグループ ダンスを踊っているとき、牧女(ゴーピカ)たちはあまりにも神への愛と歌に浸りきっていたがゆえに、神との一体感を味わいました。

このようにして、クリシュナ神をたたえるサンキールタン(集団での讃歌)は人々のあいだに広まり、神への愛を育むこと、そして、共に集って世界の幸福のために祈ることを促進する助けとなりました。

それと同じように、ラーマの御名を共に歌うことも流行し始めました。数霊学的には、ラーマの御名に含まれている文字(「ラ」+「ア(ー)」+「マ」)は合計すると七になります。七つの音のみならず、霊妙な数字「七」は、七つの島、七つの海〔人間の体にある七つの海――塩の海《尿》、サトウキビの汁の海《汗》、ワインの海《感覚》、ギーの海《精液》、バターミルクの海《粘液》、ミルクの海《唾液(だえき)》、浄水の海《涙》〕、七聖仙など、数多くの神聖な事柄を連想させます。こういった概念に基づいて、七日間にわたる祭事やヤグナ〔祭火を用いて行われる供犠〕が執り行われるのです。


三重の純粋さの必要性

すべての人が神の御名を唱えることの有効性と効能をよくわかっているというわけではありません。まず必要なのは、思いと言葉と行動が純粋であることです。舌で唱える神の御名を心で(マインド)瞑想し、唱えて思う御名を拍手で称賛すべきです。こうした神の御名への三重の専心――発言、行為の一体化――が心を(ハート)清め、信愛の情を養うのです。

神の特性を列挙したり、神の栄光を歌ったり、神の偉業や御教えを物語ったりするよりも、神の御名を唱えるほうがその人を最大限に高めてくれます。

神を単に「慈悲(ダヤ)の具現(マヤ)」と描写すれば、その表現にふさわしい人物は大勢いるでしょう。「戯れとして人(リーラーマーヌシャ)の姿をまとっているお方(ヴィグラフドゥ)」という言葉が使われたなら、それに当てはまる人はいくらでもいるでしょう。

グル ナーナク〔シーク教の開祖〕は信愛の歌を集団で歌うという修行の創始者です。グル ナーナクは、そのような共同讃歌を通して、普通の人にも、人生を高尚なものとし、あらゆる人の内に神の存在を感じることができると信じていました。そのような体験を通して、人はブラフマンを知るもの(グニャーニ)となることができるのです。

追いはぎをして暮らしていたラトナカーラは、長い年月ラーマの御名を瞑想した末に、聖賢ヴァールミーキとなりました。〔唱名に集中するあまり蟻(あり)が自分の体の上に蟻塚〚ヴァールミーカ〛を築いたのにも気づかなかったことからヴァールミーキと呼ばれるようになった〕

彼は啓示を得、そこから『ラーマーヤナ』〔神の化身ラーマ王子の物語〕が生まれたのです。

モーゼ〔神に十戒を授けられたヘブライの預言者〕もまた、つねに神の御名を思い続けることによって神を悟るに至った古の(いにしえ)時代の偉大な人物の一人です。

永遠に空に留まる音

歌われたバジャンは音波の形で空(くう)に広がり大気全体を満たします。それによって環境全体が清められます。そうして清められた空気を吸い込むと、人の心も(ハート)浄化されます。神の御名を唱えることは、与え、受け取るプロセスです。神の御名を歌うことは、喜びと神性さを分かち合うための修練となるべきです。わたしたちが創り出す音は大気中に残響するということをよく覚えておきなさい。それは音波として永遠に空(くう)に留まり、その音を発した本人よりも長く生き続けます。

今日、大気は神聖でない悪意のある音声によって汚されています。それは悪い想念や悪い感情の増加という結果を招き、悪い行いを引き起こします。もし大気を浄化すべきだというのなら、大気を純粋で神聖な音で満たすようにしなさい。そのためには、思いと言葉と行動における純粋さを育てる必要があります。


属性の描写より神の御名

歌では神の属性を描写するよりも、神の御名をたたえるようにしなさい。神の属性をたたえれば、それを疑う人も出るかもしれません。たとえば、もし神を「慈悲の(カルナー)化身(マヤ)」と呼んだとしたら、病気をている帰依者の中には、どうして神様は私には慈悲を示して救ってくださらないのですか?――と尋ねてくる人がいるかもしれません。神の戯れや偉業をたたえても同じような疑いが生じるかもしれません。

けれども、歌が神の御名だけに限ったものであれば、そのような疑いが湧き起こることはありません。ですから、帰依者は神の御名をしっかりと自分の心(ハート)に据えて、熱意をもって歌うべきです。「正しい(サムヤグ)キールタンすなわちサンキールタンである」――つまりサンキールタンとは、きわめて正しく歌うということです。

これはつまり、集団で歌うときには、参加者は喜びに満ちた大きな声で、思いをこめて歌うべきであるということです。自分の声や音楽的な才能についてくよくよ考えるべきではありません。思いの純粋さがすべてを補ってくれることでしょう。

心に(ハート)神の御姿を思い描いて神の御名を唱えなさい。そうして初めてあなたは神の御名を歌う喜びを感じるでしょう。それはまた、他の人たちにも喜びを呼び起こすでしょう。

ラーマの御名は、火と太陽と月に関連した三つの根源文字(ビジャークシャラ)で成っています。これには象徴的な意味があります。ラーマの御名を唱えることによって、火の原理がその人の罪を焼き尽くし、太陽の原理が無知という暗黒を追い払い、月の原理が欲望から生じた熱を冷ましてくれるのです。


(バガヴァンは「ハレ ラーマ! ハレ ラーマ! ラーマ ラーマ! ハレー ハレー!」のバジャンを歌って御講話を締めくくりました)

プラシャーンティ マンディール

SSS Vol.19 pp.194-199 より抜粋