サイから与えられた
バジャンレッスン
60 年間近く敬虔で信心深い帰依者であった、タミル ナードゥ州出身のラニ スッブラ マニアム女史 は、スワミに親しみを込めて「ラニ マー」と呼ばれていました。
サイから与えられたバジャン レッスン
ラニ マー女史
スワミがプラシャーンティ ニラヤムに移られて2 年後(1952年)、私たちはまだ旧マンディールにいて、バジャンのためにプラシャーンティ ニラヤムに通っていました。ある行事のバ ジャンの最中、スワミは私たちが歌うのを止められました。私はスワミのごく間近に座っていました。スワミは私をごらんになり、お尋ねになりました。
「あなたが歌いますか? 」
私は肯定的に返答し、
「カルナーティック(南インドの古典 音楽)は知らないのでヒンドゥースターニー(北インドの古典音楽)だけなら歌えます」
と付け加えました。スワミはティヤーガラージャ キールタナ(カルナーティック音楽が基盤)だけを好んでおられると思っていたからです。しかしスワミはおっしゃいました。
「そのようなことは関係ありません。あなたはバジャンを歌いなさい」
そこで、私はその瞬間、心に浮かんだバジャンを歌い始めました。そのときは気づき ませんでしたが、後から思い返してみると、スワミは私にそのバジャンからある重要で深遠なレッスンを受け取ってほしかったのだと気づきました。そのバジャンの意味はスワミが私に示したかったアドワイタ(不二一元)の原理を強調していたのです。 翌日もバジャン会に行くと、スワミは再度、私に同じバジャンを歌うよう望まれました。三日目も変わることはありませんでした。私はそのバジャンの意味に注意を払っていなかったため、同じバジャンを歌うことに少し フラストレーション(不満)を感じていました。そこで、 私は皆の前でスワミに尋ねました。
「スワミ、私は数多くのバジャンを知っています。何か他の曲を歌いましょうか? 」
スワミはおっしゃいました。
「必要ありません!私はこのバジャンだけをあなたに歌ってほしいのです」
私たちは決して自分本位に(一方的に)スワミを理解することはできません。スワミご自身が自らの正体を私たちに顕さなければなりません。スワミを理解しようとすることは、砂浜で砂の粒を数えるようなものなのです。
数日後、スワミはご自分のお部屋の掃除をするよう、数人の婦人たちを上階に呼ばれ ました。私たち 5 人が上がって行き、私が掃除で忙しくしていると、スワミは
「ラーマ ナ ーマ ジャパナーレ・・・」
と、私が数日前にスワミから歌うように言われた同じバジャンを歌われていました。私は少し驚いて、独りごとを言い始めました。
「このバジャンはもう十分なのに...どうしてスワミは同じバジャンで私をうんざりさせられるの? 」
私は振り返ってスワミを見ました。私の顔にはクエスチョンマーク「?」が付いていたのでしょう。スワミはおっしゃいました。
「あなたはなぜ私が同じバジャンを歌うのか不思議に思っていますね。そうでしょう? 私はこのバジャンを何度も何度も歌います。このバジャンには英知の本質が含まれているからです。あなたがこの英知を消化できれば、それ以上のものは何も必要ありま せん。あなたは霊的ゴールに到達するでしょう」
私は、そのときまで自分がこのバジャンの意味に注意を払っていなかったことに気づきました。(例えば) 私たちがティヤーガラージャ キールタナを歌う際には、ティヤーガラージャの心的状態に入り込まねばなりません。そうしてのみティヤーガラージャの価値がわかるのです。 (バジャンの)意味は、そのターラ(リズム)がどれほど善いかよりも重要です! そのキール タナの意味はこのようなものです。
『ラーマの御名を常に唱えなさい、おお人よ!
あなたが呼吸をする限り、この家は あなたのものである!
あなたが呼吸をする限り、あなたは『私のお金』『私の家』と言う だろう
ひとたび呼吸が止まるなら、あなたのものは何もない!』
それからスワミはおっしゃいました。
「母、父、子供たち、親戚などは、単にあなた自身の想像、カルパナにすぎません。 全ての創造物は単なる想像にすぎないのです。それは、実在しないあなたの心の単なる 投影です。それは妄想です。すべての関係は存在していますが、絶対的に(他に比べる ものがなく単独の価値基準で存在している)のではなく、相対的に(他に比較するもの がある価値基準で)存在しているだけです。あなた方はただ、ある役柄を演じているだけなのです」
カルパナとは、あなたがある役を想像し、その役を演じているという意味です。それ は真実ではありません。その歌が先に進むと、
「あなたは親類縁者から離れなければならない。
結末は、それはただの夢にすぎない」
という詩になります。結末とは、死後に人がそれを悟るという意味ではありません。私はそのことを理解するのに時間を要しました。スワミはおっしゃいました。
「人生が夢であることを悟るとき、あなたは白昼夢から目覚めるでしょう。」
夢は常に見られるものではありません。目覚めれば、夢はもはや存在しません。同様に、私たちが自らの真我に目覚めれば、夢は存在することを止めます。スワミは おっしゃっています。
「あなたの真我を目覚めさせれば、あなたを悩ませている世俗(世界)は存在することを止めます」
この歌を私が完全に理解するには、かなりの時間を要しました。今はどこでも話すように頼まれればこの歌を繰り返し暗誦します。これは、私がプッタパルティを訪れて2、3年後にスワミが教えてくださったことの神髄です。私は 1950 年にここへ来ました。ですから既に半世紀以上にもなります。1954 年かその頃に、私はこの歌を歌わなければなりませんでした。内に向かい、それを完全に真に理解するために、多くのサーダナ(霊的努力)を要しました。