神のためだけに歌う

60年間に及ぶスワミの帰依者の

バジャンなる日々

神のためだけに歌う

ラニ マー女史

1950年代のお話です。

私はよくデリーに出かけて行き、休暇の間、姉のカマラ サーラティの家に滞在していました。姉はラーマクリシュナ・マート(僧団)の近くに住んでいました。最初の訪問後、スワミはサットサング(善い仲間)と共にいるようにとおっしゃいました。私たち はどのようにすれば良いかスワミに尋ねました。スワミはギーターの勉強会や同様の活 動に参加するようにおっしゃいました。私たちはスワミにラーマクリシュナ・マートに参加し続けても良いかどうかを尋ねました。当時、スワミは偉大な人物だとは思っていましたが、スワミが神ご自身であるとはわからなかったのです。 ですから、私たちはスワミが承認してくださるかどうか確信がありませんでした。しかし、スワミはおっしゃいました。

はい。そこはとても善い場所です。ラーマクリシュナ ミッションに行きなさい!行って、すべてのスタディーサークルと会合に参加しなさい

そこには定例のギーターとウパニシャッドのクラスがあり、私たちは真摯に参加していました。彼らはホーリーマザーやシュリ ラーマクリシュナの誕生祭のような行事の期間中、多数の聴衆を前にステージの上で歌う善いバジャン シンガーを数人必要としていました。そこで姉が言いました。「ラニ マーがバジャンを知っているので、もし彼女に歌ってほしいようなら 私が彼女に頼んでみましょう」 私はそのとき、偶然そこに居合わせました。私はこれらの行事の一つでミーラー、スーラダース等のバジャン を数曲歌いました。その後、お祭があるたびに歌ってほ しいと定期的に招待されるようになりました。公的な儀 式(催事)でしたので、人々は私の才能を知るようになりました。それで、彼らは様々なイベント、誕生祭などに私を呼び、そこで歌うように頼まれたのです。私は自分のハーモニウムを持参して、これらのイベントで歌っていました。私はこのことをとても純粋に行っていました。

あるとき、(姉の)カマラ サーラティが一人でプッタパルティ を訪れた際、スワミはインタビューで姉にこう言われました。

ラニ マーに、自己実現(真我の悟り)か、あるいは名声と評判か、どちらが欲しいのかを尋ねなさい。もし神聖な真我を実現したいのであれば、彼女は公共の場で歌うことを止めて、自分の家のプージャ ルーム(祭壇や祈りの部屋)で神のためだけに歌わなくてはなりません。私は彼女があらゆる所に行っているのを知っています

スワミはデリーにいらっしゃらないのに、どうしてご存知なのでしょうか? スワミは私たちに神の遍在を証明してくださっています。私たちの行動は何もかもご存知なのです! 私たちはスワミが遍在であることを知りませんでした。私たちが祈るときのみ、 スワミは遍在であると思っていたのです! スワミの遍在に対する私の理解は限定され たものでした。スワミが私の内なる真我であり、どんな想い、どんな言葉、どんな行いにも終日気づいておられることを知らなかったのです。スワミは私が何をしているかをご存知です。スワミに知られずして、私はどんなことも行うことはできません。 あなたがそのことに気づいていれば、とても慎重に注意深くなることでしょう。スワミがあなたの行う一切をご存じであるとわかれば、スワミが身体的にその場におられない時にしている多くのことを、あなたは行うでしょうか? いいえ、しないでしょう。 あなたといざこざのあった特定の人に対しても、あなたはとても丁寧に話すでしょう。 「スワミがご覧になっている。礼儀正しくしよう」と思うでしょう。スワミが私たちに育んでほしいと望んでおられたのはこの「気づき」です。それを育まなければなりませ ん。簡単なことではないでしょう。それは粉砕機を通す穀物のような拷問の(苦痛を与える)道です。それはヒマラヤ登山のようなものです。それゆえスワミはおっしゃったのです。

彼女(ラニ マー)が何を欲しているのか尋ねなさい。名声と評判が欲しいの なら、どこへでも好きな場所に行って歌ってかまいません。しかし、真我を実現したい のなら、外出するのを止めて自分の家の(祭壇や祈りの部屋)で神のためだけに歌うべきです

このメッセージを受け取った後、私は外出するのを止めました。そんな ある日、マリーニ女史という人が電話をかけてきて、私に歌って欲しいと言いました。 私は言いました。

「すみません。私のグルの許可がありません」

しかし、彼女は言いました。

「あなたは公衆の目前で歌うのではなく、尼僧たちだけのために歌うのです」

私は歌うことができるかどうかわからないので、スワミに祈り、その件について考えなければならないと言いました。マリーニ女史は私が歌うべきだと強く主張しました。私はそれについて考え、祈りました。何かが私に告げました。それが尼僧たちのためなら歌うことはできるが、その後はこれ以上歌ってはいけない、と。私はそれを明確にしなければなりませんでした。そこには尼僧たちが集まっており、スワミが私にラーマ クリシュナ・マート(僧団)のサットサング(善い仲間)に出席し続けるようおっしゃ っていたので、私はそこへ行きました。ラーマ クリシュナと、彼の妻、シャラダのマー トは多くのことを授けてくれました。ですから私には彼らに恩を返す義務がありました。 従って、そのような態度で、それが従順かどうかはわかりませんが、私は行きました。その決断はダルマに適っていると感じたのです。それは評判を得るためではありません でした。名声や評判のためではありません。このイベントの後、私は完全に(公衆の目前で歌うことを)止めました。私の人気が廃れるまでは(私が忘れ去られるまでは)歌いませんでした。スワミは絶えず経過を見守っておられます。なぜなら、私たちはスワミに導きを求めているからです。 スワミはかつて、私におっしゃいました。

私はすべての人を導いているわけではありません。それ(導き)を求める者だけを 導いています。あなたの場合、どんなことでも、些細なことから大きなことに至るまで、 私に導くよう願ったから導いています。〔私はスワミにこのマーヤー(迷妄)の世俗生活 に関することさえ尋ねていました。あれこれを料理しましょうか...等〕それゆえ、私はどんなことにも干渉し、あなたを導いているのです

私が歌うことをスワミが止めさせたられた理由に関して、私は少しの間傷ついていました。結局のところ、私は古典音楽さえ歌わずにバジャンだけを歌っていました。私は 随分前に(神以外のために歌うことを)止めました。私は聖者ティヤーガラージャを思い出しました。歌うために王宮に招かれた際、ティヤーガラージャは(王のために歌うのを断り)自分は神のためだけに歌うと言いました。当時、私はスワミを理解していませんでした。別にラジオ番組のようなことをしているわけではないのに...と思っていました。しかし、それから深く考え、神のためだけに生きなければならないと悟りました。 人は「私」や「私のもの」の領域に属しているものを放棄しなければならないのです。