スーナム博士シリーズ 1

サイ大学出身のスーナム博士はバガヴァン シュリ サティヤ サイ ババと幼少期から多くの交流関係を持ち、1970 年代に肉体のスワミのもとに呼ばれ、スワミの下で直接指導を受られました。 博士はバガヴァンが学生たちのためにお書きになった多くの演劇やドラマ向けの多くの楽曲を作曲されています。プラシャーンティ マンディール バジャンチームのメンバー。仏教(密教)の博士号を取得。

私たちの愛するバガヴァン シュリ サティヤ サイババ様の蓮花の御足にお祈りを捧げます。親愛なる兄弟姉妹の皆様、バジャンとは音楽のテクニカルアートではありません。毎日毎日たくさんの練習が必要です。最初にバジャンの概念を明確にさせることから始めて行きますが、その前にバガヴァンの御教えに従って音楽を深く見て行く必要があります。


スワミが御講話でサプタブランママイ、チャラーマイ、シュリーマイ...等という言葉を何度も繰り返すのを聞いた事があると思います。仏教の国々ではナーダとビンドゥという言葉を容易に理解することができますが、これらの言葉を皆さん方はご存知でしょうか?仏教ではストゥーパという仏舎利塔がありますが、それを見ると一番上に三日月と小さな丸い点が見えます。その三日月は無を象徴します。それがナーダです。仏教では空と呼ばれています。また、ヒンドゥー教のお寺にも同じようなシンボルを見る事ができます。スワミは、身体は神が祀られている寺院であると何度も教えて来られました。また、寺院そのものが空であるという意味もあります。寺院の中も外も実は完全に無、空なのです。まったく何の実態もない空なのです。また、三日月の隣りの小さな丸い点ビンドゥは、種であり、プラグニャという超越的な叡智を象徴しています。ナーダとビンドゥは大宇宙を象徴しています。それが私たちの身体の中にも小宇宙として存在します。その大宇宙と小宇宙の結合は私たちの霊的進歩にとって大切なことです。

真夜中に、もし誰かが外に出ると静寂の音に耳を傾けます。夜中になると普通私たちは眠っていますが、もし深夜に目が覚めるようなことがあれば試しに外に出て行って静寂の音を聞いてみてください。スィンギングボールという丸い容器の淵をこすると音が出るものがありますが、スワミによると全宇宙はこのスィンキングボールに似ているとおっしゃいます。スワミはそれをシャブダブランマーとおっしゃます。スワミは全宇宙が、シャブダブランママイー、チャラーチャラマイー、ヴァーンガマイー、シュリーマイー、ニッティヤーナンダマイーであると言われています。ではシャブダブランマーとは何でしょうか?「音の出ない音がある」という言葉があります。例えばこのハーモニウムやタブラは「音が出る音」です。その音の基盤とは何でしょう?基盤がなければ音が出てくることはありません。スワミは

サティヤムヴァダ、ダルマムチャラ、真実を語り、ダルマを行う

とおっしゃいますが、真実を行う際の真実の基盤とは何でしょう?スワミはサティヤの基盤はルタ(リタ)であるとおっしゃいます。ルタについてはヴェーダでも述べ唱えられています。すべての音の基盤というものが存在します。この宇宙に存在するすべての音、無限の空の広がりがすべての音の基盤なのです。その音の側面から言うと、神は無限に広がる音の基盤であると言えます。さて、ブラマとブラフマという言葉は似ていますが全く意味が違います。ブラマは迷妄を意味します。私たちは目に見えて存在するものが真実だと思いがちですが、それは投影に過ぎません。基盤となるものが神、ブラフマであって、基盤が投影されているものが迷妄、ブラマです。「私はスーナムです」と言う時、それは真実ではなくブラマです。スーナム ギャムソーはこの姿形の名前に過ぎません。私は身体でも名前でもありません。そういった哲学的背景を持って音楽を見ると大変深い意味があります。

バジャンの第一の意味

私たちは「ハリ バジャナビナ スカ シャーンティ ナヒーン、バジャンがなければ平安はない」というバジャンを歌いますが、バガヴァッドギーターの中で、ヨーガとは何かという話があり、巧みに行われる行動がヨーガであると言われています。そのことに関連して、ある人がスワミに「食べることもヨーガですか?」と質問しました。するとスワミは

巧みに行うなら、それは最高のヨーガです。しかし食べ過ぎてはいけません。何事もやり過ぎることはヨーガではありません。

とおっしゃいました。あらゆる事に関して巧みに素晴らしい行動をすることがヨーガです。私たちがバジャンを歌うときに、巧みに素晴らしく行うということはどういうことでしょうか?それを理解するために始めにバジャンそのものの概念を理解することはとても大切なことです。

バガヴァンによれば、バジャンという言葉は「バ」と「ジャン」という言葉で出来ています。「バ」はバガヴァンすなわち神のことであり、「ジャン」は人々のことです。ですから周りの人々の幸せのために歌われるもの、皆が心を一つにして歌われたもの、それがバジャンです。それがバジャンの第一の意味です。

普通、伝統的なサイバジャンを歌うときには、私たちはハーモニウムやタブラやギターを使いますが、それにシタールなどの楽器を加えることもできます。そして大切なことですが、通常ではバジャンをリードするリードシンガーが必要です。リードシンガーとなる方は常に絶えず練習を続けることによって歌うことに非常に長けた人になって来ます。そしてリードシンガーをフォローするすべての帰依者がいます。正しくはリードシンガーと一緒に歌う人が必要です。バジャンをすることによって何が起きるかというと、私たちの想いと言葉と行動が一緒になって、皆の心が一つになります。バジャンを歌っている最中、私たちは想いと言葉と行動が一致しています。バジャンを歌っている人の清らかな気持ちが、素晴らしい調和の音となって聞こえます。

それは想いと言葉と行動のシンフォニーであると言う事が出来ます。雰囲気全体が浄化されます。人類史上初めてバガヴァンは帰依の歌を、バーヴァサンキールタン、ナーマサンキールタン、グナサンキールタン、ギャーナサンキールタンの4つに分類されました。昔はミーラーバーイーが様々なところで神の歌を歌っていました。その他にもナームデーム、バクタ プーランダラ ダースなどが同じように様々な所で神の歌を歌っていました。こういう素晴らしい偉大な聖者たちは個人としてソロでバジャンを歌っていました。聖者と神との間の歌を、周りの人が聞いているという状態でした。

スワミがおっしゃるには、そのような歌い方によると、歌う聖者と周りにいる人々といった少数に影響をもたらすのみであるとおっしゃいます。しかしグループで声を揃えて歌うサイバジャンはすべての人のために、帰依者一人一人に力を授けて歌えるようにしたのです。

私は色々な所に行きますが、どこでも人々はバジャンを歌うことが大好きです。小さな子どもたちからお年寄りの方々まで、皆さん競い合って歌や楽器の練習を行っています。「どうしてあなたはバジャンを歌いたいのですか?」と聞けば、彼らは「自分がどんなに神を信仰しているかを見せたいのだ」と言う気持ちがあることを認めようとはせず、エゴを持ったまま「ただ、スワミに喜んでいただきたいからです」ということしか言いません。スワミは次のようにおっしゃいました。

バジャンにおいて、人々がとる行動は2種類あります。バジャンを聞いて感動するか、立ち去って他の場所に行ってしまうか、どちらかです

今、世界中のサイの活動の中で皆さんはそれぞれの国の言葉で熱心にバジャンを行っています。

帰依者が神の栄光を歌う時、私はそこにおわします

と、スワミはおっしゃいます。

スワミは14歳のときに、

マーナサ バジャレー グルチャラナム ドゥスタラ ババ サーガラタラナム グルの御足を崇めることによって輪廻の海を渡りましょう」

というバジャンを帰依者に教えました。これは人類全体を呼び覚ます歌です。私はインドの素晴らしい古典音楽の最高峰の方々にお会いしたことがありますが、彼らはスワミの「マーナサ バジャレー」をそれぞれの技法で様々に歌っています。深い帰依の心を持って、最高峰の歌手たちがそのバジャンを歌うのです。

なぜバジャンに参加するのか

今日に置けるバジャンとは、人々にとって大きなムーブメントになっています。それはタンプーラという楽器を持った歌手が、一人で座って歌っているという状態ではありません。真のバジャンは魂の解放が得られる最も容易な道であるとスワミは言われます。なぜ人々はバジャンに参加するのでしょうか?悲しみや涙を忘れるために?困難から解放されるために?心の平安を得るために?問題を解決するために?私たちの願いが叶うように?至福を楽しむために?霊的な体験を得るために?私たちのハートの人間的価値が開花するように願って?神のヴィジョンを得るために?その他にもバジャンに参加する理由はたくさんあると想います。

この中のひとつ、「心の平安を得るためのバジャン」について見てみましょう。今日のほとんどの人々は心の平安が無いことで苦しんでいます。スワミを知らない人々は心の平安を無くした時に何をするかというと、飲酒や、奥さんに暴力をふるったりします。たくさんの家庭における不調和があります。もし人々がバジャンを1曲でも歌えば内面的な苦しみや不調和が消えてしまいます。

学生から見るバジャン

では、バジャンを別の角度から見てみましょう。私はかつてサイの学生でしたが、学生から見るバジャンというものについてお話しましょう。スワミが私たちに声をかけてくださらないとき、冷たく、針の筵に座らせられたような体験を、スワミだけが私たちにさせることができました。自分がそこに存在しないかのようにスワミは完全に無視をされるのです。それはまるで自分が壁になってしまったかのようでした。そうした状況に陥ったとき私たちが訴えることのできる唯一の方法は、バジャンです。バジャンは王道です。今日私たちが聞く多くのバジャンに秘められている情熱は苦しみによるものが多く、それらの多くは苦しんでいるときに作られました。バジャンはスワミに語りかける素晴らしい方法です。ずっと歌い続けるのです。バジャンを通じでスワミに訴えかければ必ず応えが得られます。コルカタのある帰依者がすべてのものを亡くし、絶望に打ち拉がれているときにスワミのインスピレーションを受けて、次のようなバジャンを作りました。

「あなたは御姿とともに様々な名前を持って

時代から時代へいらっしゃいました

あなたはラーダーのクリシュナであり

シーターのラーマでありました

あなたはすべてのサイです

人々が良い行いを続けていきますように」

さて、では次にバジャンの実技について深めて行きましょう。(シリーズ2につづく coming soon)