スワミご自身のバジャン練習

スワミご自身のバジャン練習

〜バジャンのリードシンガーに向けてのメッセージ〜

Bro.アメイ(マンディール バジャン シンガー)

Text by Radio Sai

1曲のバジャンをリードするために

バジャンの旋律については、スワミは「練習しなさい、練習しなさい」と、練習を強調されています。1980年代、スワミの学校が設立された年に、バジャンシンガーの先輩たちがおっしゃっていたことですが、スワミはバジャンが始まる前に、バジャンシンガーをインタビューに呼び、既にマンディールの人々が集まっている外に出させて、スワミの御前で、本番で歌われるバジャンをすべて練習させたそうです。それほどスワミは練習を重視していらっしゃいます。ですからバジャンを歌うときには準備なしで参加しないようにしてください。バジャンが夕方にあるとすれば、その日の最初から、またはその前から、よくよく準備しておかなくてはなりません。どのバジャンを歌うかを決める前に、少し発声練習をしましょう。あるとき「シュリ ラーマ チャラナム」というバジャンを作曲された方の話を聞いたことがあります。スワミはその方に「1曲のバジャンをリードする前に100回練習しなさい」とおっしゃったそうです。「バジャンのラサ(真髄)を味わうことができるように100回練習しなさい」それを聞いた私たちはびっくりしました。私たちは愚かにも、バジャンが始まる15分前に初めて歌うバジャンを練習したことさえあったからです。その方は、バジャンを作曲した本人であるのにも関わらず(そのバジャンでさえも)、スワミは100回練習しなければならないとおっしゃったのです。そして、なぜ100回練習しなければいけないかの説明がありました。スワミは次のようにおっしゃいました。

最初の25回は、音楽のニュアンス、ビートやリズム、旋律などの技術的なことをマスターします。あなたは26回位でそのバジャンを知ることができるでしょう。その後の25回は、あなたはそのバジャンをマスターし、周りで聞いている人々もあなたのバジャンを楽しめるようになります。きっとあなたが歌ったあとで誰かがあなたのところに来て背中を叩き、『バジャン歌うの上手いね‼︎』とか『いい声をしているね!』と褒めてくれるようになるかもしれません。あなた方はそのようなことを望みますが、その次に25回練習したあとは、通常の段階とはまったく異なることが起こります。その段階では、シンガーの前に神が現れて立っています。シンガーは神の栄光に我を忘れ、その美しさを歌い表すことだけに陶酔します。目を閉じているとき、シンガーは神を見ているのです。100回の練習に達するときに起こる一番美しい出来事は、シンガーだけが目の前にいる神を見るのではなく、そのバジャンに参加しているひとり一人全員が、その御姿を目の前で見る、ということなのです。そうなったときには、誰もバジャンのあとにあなたのもとへやって来て、ほめそやしたりしないでしょう。そしてあなた自身も誰からもそのような証明をして欲しいとは思わなくなるでしょう。その確証はシンガーに届き、そこに参加していた一人ひとりに届いて、神との一体性を体験することができたからです

これらはすべて実際にスワミがおっしゃったことです。スワミは、一つのバジャンを100回練習することを、それほど重視されていたのです。

リードシンガーは、よく新しいバジャンを歌いたがりますが、スワミご自身をご覧になってください。スワミは御講話のあとに必ず「プレーマ ムディタ マナセ カホー」と「ハリ バジャナ ビナー スカ シャーンティ ナヒ」を歌われていました。3500回ほど御講話をされた中で、その2つのバジャンを何度歌われたことでしょうか。しかし毎回、スワミの声は私たちの心に触れました。神ご自身であるスワミが「ラーマ ラーマ ラームと唱えなさい」と歌われたときには、まるでスワミがそのようにすることを全人類に懇願しているかのようにさえ見えました。そしてすぐホール全体がそれに反応し、高揚して全身全霊で歌いながら手を叩いたものです。スワミは最後に手で、これが終わるというサインを示し、最後のゆっくりしたテンポの一節を歌って、バジャンを終わらせます。それでも我を忘れて、目を閉じて歌っている帰依者たちが、まだ歌い続けていたことがありました。そのときの帰依者たちは、神がそこに立っていらっしゃるにも関わらず、目を閉じていました。それは、目を閉じていても、彼らはそこに神の御姿を見ていたからです。

スワミご自身のバジャン練習

また、スワミがお歌いになっていた「ハリ バジャナ ビナー スカ シャーンティ ナヒ」のバジャンですが、それはスワミがある学生から学んだものだったそうです。その学生は、1980年代のブリンダーヴァンで、バジャンが終わるとスワミに呼ばれて、その「ハリ バジャナ ビナースカ シャーンティ ナヒ」を歌うようにと指示されました。それが7〜10日ほど続いたのです。そしてある日御講話を終えたとき、スワミは「ハリ バジャナ ビナー スカ シャーンティ ナヒ」のバジャンをスワミご自身で初めてお歌いになったそうです。そして、これこそが神の示される謙虚さなのですが、実はスワミはその後学生のところに行って、「これで大丈夫だったかい?私はちゃんと歌えていたかな?」とお聞きになったということです。

スワミは15〜20回ほどその学生が歌うバジャンを聞いたあとで、ご自分で何度も何度も練習してから、ずっとそれを歌い続けていました。「ハリ バジャナ ビナー スカ シャーンティ ナヒ」とはバジャン以外に平安を与えるものはないという意味です。

私たちは何度も何度も、ラーマの行動を手本とし、クリシュナの御言葉に従いなさい、と教えられてきました。しかし、この私たちの美しいスワミは、生きた手本と御言葉の両方を残し、人生そのものをメッセージとされたのです。バジャンに関しては、まず自ら練習し、歌い、そして感想まで求められました!これはスワミが私たちのところまで降りてきて、「私はあなた方の一人となりましょう。そうすれば、いつの日かあなた方はわたしの一部となることを熱望するでしょう」とおっしゃった理由です。

皆がよく知っているバジャンを歌うこと

スワミはよく「一般の帰依者の前で歌う時は、皆が親しんでいるバジャンを歌いなさい」とおっしゃっていました。リズムで重要なのは、全員がそのビートで手を叩き、一つになることです。バジャンはコンサートではなく、共同の作業であるということを知っていることが重要です。お祭りなど、一般の帰依者が多く集まるときには、スワミは新しいバジャンを歌うシンガーに注意をされていました。

私が(学生の時)バジャングループにいた頃、スワミがブリンダーヴァンで次のような話をしてくださったことがあります。ブリンダーヴァンにあるサイ ラメッシュ ホールのスワミの玉座からは、帰依者全員をよく見渡すことができるそうです。そうすると、よく知らないバジャンが歌われたときに、歌うことができなかった人々の所には空白の穴が見えるそうです。スワミはその人たちからも至福という食物(スワミは”バジャンで得られる至福が私の食物です”とおっしゃっています)が欲しかったわけですが、彼らはそのバジャンを知らないので参加できず、スワミに至福の食物を捧げることができなかったのです。

スワミがダルシャンを与えていらっしゃるときに、「ダヤー カロー(憐れんでください)」と歌って、神ご自身と帰依者が直接つながる関係は実に美しく、魔法のようです。しかし、皆がよく知らないバジャンが歌われると、その集中と関係が急に途切れてしまいます。それはまるで、映画を見ている最中に、急に言語が変わって、字幕が出て、読まなければ理解できないといった状況に似ています。急に字幕に集中しなくてはならなくなり、映画そのものに集中できなくなってしまいます。それが親しみのない拍子や言葉、旋律などを用いたバジャンが突然歌われたときに起こる状況です。(アカンダバジャンの想い出にづづく)